幼稚園で娘と同じクラスのアルティナちゃん。娘が一番最初に名前を覚えたお友達。1歳年上で、トイレに連れて行ってくれたりと色々面倒を見てくれる子らしい。
時々、送迎の時にママと会うこともあるものの、あいさつ程度。そこまで世間話はせず。よく聞いていたら、アルティナちゃんとママとの会話はドイツ語ではない違う言葉。あまり聞きなれない言語で一体どこの国の言葉なんだろうなあと思っていました。
先日、アルティナちゃんとママの登園と一緒になり、またその聞きなれない言葉を使って会話をしていたのでママに「何語を話してるの?」と聞いてみました。
そしたら帰ってきた答えが「アルバニア語よ、私の母はコソボ出身なの」と。へー、アルバニア語!どおりで聞きなれないという言語だったのか―と。母がコソボ出身ってことはママはドイツ生まれなの?とか質問はあるけれどそこまで話す時間もなく、ただ「娘にはドイツ語とアルバニア語で話しかけてるわ、だから彼女はどちらもわかるわよ」と。でもアルティナちゃんがママに話すのはドイツ語です。
「2か国語ってホント同じレベルで上達するのは難しいわよねー」なんて話で終わったのですが、何語?と聞いた私に「アルバニア語」であると答え、そこに加えて「母がコソボ出身」という一言を加えたことに深い意味があるんだろうなーと。
コソボとかアルバニア、セルビアとかってなかなか親近感のない国で何が起きてるのかわからなかったりしますけど、たまたま以前コソボ出身でドイツで働いている人がいて、その時にコソボってどこだ?と思って調べたこともあり、「アルバニア語」という回答に「コソボなのよ!」と付け加えて言った彼女の言葉には、私たちが知る以上に大きな意味があるのだろうなと思ったのでした。
でももし彼女が「アルバニア語よ」という一言で終わったら、私は彼女はアルバニア出身なんだろうなと思っただろうし、その答えを受けて「アルバニア出身なの?コソボ出身なの?」とかどう切り返すのがいいのか、悩むところ。だからコソボ出身と彼女から言ってくれたことはありがたくもある。
言語=国では無い、どの言葉だからどこの国と断定できないということがなかなか日本人である私達には慣れないこと。ドイツ語もスイスやオーストリアで使われているし。
「日本語で話してるわ」という一言で日本人であるという断定はまずほとんど間違いはないから説明も不要。案外そういう「言葉と国が合致する」シンプルな国の方が少なかったりするのかも、ということに改めて気づく。
本当にいろんな人が周りにいるなあと日々実感します。