Living in Germany

ドイツ人と国際結婚。夫&娘とドイツ暮らしです。

 

 

 

 

☆ドイツで不妊治療

私たちの元にやってきてくれた赤ちゃん。

妊娠6ヶ月にしてようやく、もしやこれが胎動なのか?と思える

お腹の中で脈拍みたいな動きを感じるようになりました。

こんな話をこの場で書くことなんてもう無いのかな、と正直思っていました。

未だ信じられない状況です。

子供が欲しいと思って丸4年、ようやく授かりました。

「4年」って、過ぎてみればあっという間の月日なのですが、

子供を待つという日々の4年は短くはありませんでした。

そして年齢的にも色々と厳しくなってくるという情報も耳にして焦る、辛かった4年間。

なぜ出来ないんだろう?なぜ?なぜ?って悶々と暮らした日々。

答えの見えない日々は辛かった。毎月生理が来るたびに泣いていました。

泣いても答えなんて出ないし何も変わらないのに泣いてしまう。

一通り泣くとすっきりしてまた翌月泣いて・・・の繰り返し。

生理直前には微妙な体調の変化をほじくり出しては「もしかして初期症状?」なんてワクワクしたり、

体温の変化に一喜一憂したり、生理の出血をいわゆる茶オリ?と思ってみたり。

挙句の果てには「生理が来たけど妊娠」なんてわけのわからない言葉をググッてみたり。

妊娠検査も排卵検査もたくさん使ってきました。

当時は旦那も「どうしてそんなに欲しいの?」って不思議がっていました。

私の中では、3年後でも5年後でも絶対に出来るという保障があるならば今すぐ出来なくてもいい、

でも何の保障も無いからこそ怖くて不安だし1日も早く!と思ってしまうのでした。

友人知人がどんどん子供を生んでいったのもこの頃。

2人目3人目という報告も多かったです。

妊娠した本人は何にも悪くないこともわかってるけど心から本当には喜べませんでした。

妊娠した、子供が出来た人たちを恨んでいるわけでは無いんです、

うまく言えないけど一緒に喜べない自分がものすごく情けなくなって辛い。

自分だけ世界から取り残されたような惨めな気持ちや

子供がいる友人達と会いたくないという勝手な劣等感、

口ではおめでとう!っていいながらまったくおめでとうと思ってない嫌な自分、

子育てが落ち着き、社会復帰していく友人達の話を聞いて感じた妊娠、出産報告以上の落ち込み、

泣いてもどうにもならないのに泣く自分、自分の中の嫌な性格をたくさん知りました。

今、目の前にある旦那との楽しい日々を感じずに、子供が出来ない出来ないって不満ばかり、

そんな不満が現在の幸せをつぶしてるよね・・・なんて自己嫌悪になったり。

そんな時、毎年通っている婦人科定期検診の病院を変えて先生に相談したところ

2年出来ないならばしっかり検査していきましょうとのことで

旦那も検査を受け、私も血液検査などを受けた結果、私たちの不妊原因がわかりました。

その前に通っていた婦人科でも話は聞いてくれてアドバイスもあり、

旦那側の検査を受けてみては?と病院の名前を書いたメモをくれたりしていたものの

「まだ早いよー」なんて言う旦那は一向に真剣に取り組んでくれませんでした。

でもこの新しい婦人科の先生は、「すべての検査結果を持って何月何日に再度来てください」、と

はっきりとした期限を設定してくれたことで、のんびりさんの旦那も渋々動いてくれたのです。

原因がわからずに辛い不妊治療をしている人も多いと思います、

私たちは自然妊娠はほぼ難しいとの診断でしたが原因がわかったことで正直ホッとしました。

もちろん突きつけられた現実は厳しいものでしたし、とても辛かったけれど

なんとなく悶々とした日々から抜け出せたような、光が見えたようなそんな気分だったことを思い出します。

そして婦人科でKinder wünsch Zentrum(以下KWZ)の紹介状をもらいました。

KWZとは、直訳すると「子供を望むセンター」、いわゆる不妊治療病院。

時々通っていた道沿いにその施設があったことに驚きました。

家からもそう遠くない場所にKWZはありました。

そして何度もここに通ううちにどれだけたくさんの人が不妊に悩んでいるのかという現実にも驚きました。

いつ行っても人で一杯でした。みんな抱えている状況は違うんだろうな、

でもみんな子供が欲しいという望みを抱えてる仲間なんだ!と思える空間が私は好きでした。

初診のアポイントを取ったらすぐに山ほどの書類や説明DVDが送られて来ましたが

専門用語だらけのドイツ語は全く理解できませんでした。

なんとなくまだ他人事のような、こんなことしてるけど結局自然に出来たりして!とか現実逃避したり。

その頃はまだ不妊治療について知識が無かった私はとにかくネットを調べまくり、

日本語の情報と照らし合わせながら何とか理解したという状況でした。

きっとこの状況に直面しなければ知ることの無い世界だったかもしれません。

人工授精、体外受精、顕微授精の違いすらその時に初めて知りました。

そして調べれば調べるほど、精神的にも、体にもそして金銭的にも辛い治療であることもわかりました。

様々な現実が明るみになってからは、旦那もとても協力的になってくれて

色んな検査にも文句ひとつ言わず行ってくれました。

本当に旦那には感謝の気持ちでいっぱいです。

フルタイムで働きながらの治療は、同僚にも迷惑をかけました。

事情を知っていたのは休暇を願い出る上司と一番近い同僚だけでしたが、

本当に守られ、助けられ、なんとか治療を進めることが出来ました。

理解していただき、恵まれた環境で仕事と治療が出来たことにも感謝です。

一部は保険でも負担してくれますが、自己負担もバカにならないほど高かったです。

子供を授かるのにいったいいくら費やしたのか、私はお金で命を買おうとしてるのか?

という自問自答の日々でした。

「自然に任せれば?」「忘れた頃に出来るよ」とか「不妊治療がストレスなんじゃない?」とか色んな事を言われる日々。

忘れられるわけない、自分の体は自分がよく知ってる!

生理前には胸が張るし、生理が来る恐怖は忘れることなんてない。

たとえストレスになろうが治療しなければいけないの!自然って何?なにもせず待ってたら授かるとでも?と心の中で思っていました。

本当に辛かったです。できればもうあの辛い日々は経験したくない。

でも経験できたことは私の人生にとって大切な貴重な価値と今は思えます。

彼氏が欲しい

結婚したい

子供が欲しい

欲というのは終わることがありません。

この間まで望んでいたことが手に入ったら次の欲。

手に入れた望みに満足するのも束の間、また次の欲が出てくる。

生きている幸せ、健康であることの幸せ、不妊治療が出来る幸せ、

旦那や周りの理解や協力がある幸せ、

そんな幸せは全て置き去りにして子供が出来ない不幸、治療がうまくいかない不幸、

そんな不幸ばかり感じまくってどん底にいる気分。

こんな嫌な性格だから私の元には赤ちゃんが来ないんじゃないかな、と思ったり。

治療がんばってと言われては「簡単に言うな!」と心では思い、

「わかるよ」と同情されても「何がわかるのよ!」って反発する気持ち。

もう本当に私は嫌な奴でした。

「不妊様」なんて言葉があることを知りました。だけど世の中みんな自分様だし、頭痛様、腹痛様、花粉症様、何だって様様じゃ無いかと思うようにしてました。

神様はきっと私にこの経験をさせたかったのだろうと思っています。

こんな醜い嫌な自分を知ることを神様が学ばせてくれたのかもしれません。

そして努力してもお金を出しても結果になるわけではない世界、

自分の力ではどうしようも出来ないことがあることも改めて感じました。

子宝に効くと知ればお守りを買ってきてくれた友人、伝説の富士山の絵を送ってくれた友人、

遠く離れた日本から心配してくれた友人たちには感謝してもしきれません。

赤ちゃんは神様が授けてくれるもの、そんなことに人の手が介入するのはちょっと・・・と

最初は否定していた私の母も、検査を進めていく中では私の良き理解者でした。

母がそこまで細かい話を聞きたかったのかはわかりません、

弟に「あんまり話を聞きたくない」ってポロっとこぼしていたとも聞きました。

母も辛かったんだと思います。

最初の2回だけ母には話しましたがその後はもう話しませんでした。

絶対に母に悲しい思いはさせたくないので、聞かないほうが母にとっていいならば話したくないですし。

悪気は無いけれど世話を焼く義母に嫌気が差し、母が隣にいてくれたら・・・と涙したこともありました。

母のはじめの意見のように高度医療にて子供を授かることに否定的な意見があるということも

色々と調べていく中で気付きました。

生まれてきた子供に治療で出来た子供だと伝えるか伝えないか?とかを熱く議論したり

そういう考えもあるんだなーと人の意見を見て考えさせられたり。

倫理がどうの、試験管ベビーだのと世の中の様々な批判も耳にしました。

つい先日、妊活中だった森三中の大島さんが妊娠を発表されましたね。

旦那さんの鈴木おさむさんがコメントで、人工授精であることを発表したことに対し

「何かの力を借りての妊娠でも、その時にお互いを愛しむ気持ちがあるかどうかが大切であり

だから罪悪感もなければ、後ろめたい気持ちもまったくありません」と書いておられました。

そう!!

私が思っていた気持ちを本当にわかりやすく表現されてるなと思って感動しました。

色々考えることがあったり、いろんな方の考え方を知る中で自分がやっていることが正しいのか

正しくないのか、悩んだ時期もありました。

だからこの鈴木おさむさんの一文を読んだとき、涙が止まりませんでした。

毎日自分で自分のお腹に注射しました。

採卵のときは人生初めての全身麻酔、培養液の中で育った細胞を見たときの感激は今も忘れられません。

人間のスタートがその細胞だと思うと、ヒトってなんなんだ?と新ためて考えさせられました。

今までの人生の中で一番薬を飲みました。こんなに注射して薬漬けになって・・・心配なほどでした。

一つ一つのことは小さなことです、注射をすることも私は思ったほど辛いことではありませんでした。

やはり一番辛かったのは精神的な部分です。

たとえて言うならずっとずっとマラソンを走り続けてるような日々でした。

ゴールに近づいてるならともかく、ゴール手前でまたスタート地点に引き返させられる。

いつまでもたどり着かないゴールに心が折れそうになってる私の横を

車で「お先に~!」ってすっ飛ばす人がたくさん。

なぜ・・・なぜ置いてくの!私の方が先にスタートしたのに!

そして、晴れて「陽性です、妊娠してますよ」って言われた瞬間の喜びに勝る不安。

信じたいけど信じられない気持ち。

いつもダメだったからダメが当たり前だったからダメじゃないことを信じられない。

せっかく宿ったお腹の中の命を喜び満載で迎えてあげられない申し訳ない気持ち。

とにかくこの不妊治療では本当にたくさんのこと学びました。

知識としてはもちろん、やはり当事者でしかわからない辛さ、痛さなども

経験してみないとわからないことだと思います。

「君を悩ませた全てに心から感謝する、そんな時が来るだろう」

「成長した君になるためには何ひとつ欠けても駄目だということに気付くから」

ってマッキーの歌に何度励まされ涙したことか。やはりマッキー無くては生きていけません(笑)

どんな結果になったとしても今までの日々は私達夫婦の大切な経験です。

私の周りには治療をしていることをオープンに話している人や経験者がおらず、

インターネットの見知らぬ人からの投稿に励まされ、時に悩まされ、

良くも悪くもインターネットの情報には大変お世話になりました。

また、ドイツでの不妊治療に関して日本語で情報を得られる場所が少なかったこともあり、

私は自分の経験を書くことで、いつか誰かの助けになるならばと思い、今までの4年間を書きとめてきました。

ずっと下書きにしていたのですが、その記事もオープンにしました。

その時その時の気持ちも書いてあり、ちゃんとまとまった物ではありませんが、

私が多くの人の記事に励まされたように、いつか誰かの役に立てばいいな、と思います。

悶々とした、でもある意味お気楽な2年と少しの間のベビ待ちを「ベビ待ちの日々」

そしてKWZに通って治療を受けた1年半ほどを「ドイツで不妊治療」

あわせて陽性判定が出てから今日までの日々を「ドイツで妊婦生活」

というカテゴリーに入れています。

今この文章を読んでいる人に読んで欲しいと言うのではなく

私がやったようにいつか誰かが藁にもすがる思いで検索しているときに、

何か少しでも、何か一部でも誰かの助けになれば嬉しいです。

遠く離れた外国で言葉や環境に苦労しながら治療する辛さなど

同じように悩み、苦しんでいる人がいると思います。

何か質問があれば、私の知識でよければコメントくださればお返事します。

ということで、これからもよろしくお願いします。

長くなりましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。