Living in Germany

ドイツ人と国際結婚。夫&娘とドイツ暮らしです。

 

 

 

 

☆ドイツで出産

なかなか生活のリズムがつかめずPCを開いたのは家に帰ってきて初!あまり寝られないのですが、出産の興奮が残っているのか子供がいる生活に気が張っているのか寝ようと思っても寝れないので、ちょっと慣れるまではあまり「寝なきゃ」って思いつめるのも逆効果かなと。まだよく考えたら一週間もたってないですし。

ということで、一応、出産の時の状況を。

促進剤投与が続いた最後の日に途中まで書いていた記事をアップしました。

☆促進剤3日目、険悪なムード

促進剤投与3日目の午後、4回目の錠剤投与が予定されていました。まずはランチ休憩のあと、先生の検査がありました。いつも検査してくれる先生とちょっと立場が上の感じの先生、助産師さん3人が立ち会っての検査。

日曜日ですでに3800グラムあったことなども考慮して、そろそろ赤ちゃんも大きくなってくるし(その日はすでに土曜日なので3800と計った日から5日経過していました)、検診の結果、子宮口の開きもまだ少ないということで「破水させましょう」との決断が下されました。

破水させるってことが、どの程度出産に近づくのかあまりよくわからなくて、ただ検査の後はCTGの部屋ではなく「分娩室」に移動するように言われたので、あれ、これははじまるのか?とドキドキしてくる。分娩室に入ったのは14時過ぎ(その後最終的に23時半に産まれています)

これが分娩室。赤ちゃんを処置する場所とかもあって、あー本当に赤ちゃんがここで産まれるんだーとしみじみ。

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急いで外出した旦那に破水させるらしいと伝え(こういう時、破水とかよく単語がわからなくて連絡するのも一苦労・・・)、旦那も「戻ったらいいの?いつ?」とか聞いてくるけど「よくわからないからなるべく早く帰ってきて!」とお願いしました。

助産師さんはあのベテランおばちゃん助産師さん。聞けば前夜は当直ではなく遅番だったとのことで、今日も遅番。私を担当してくれらしい。嬉しい。このおばちゃんなら心配なく任せられる!ものすごい大きな体のおばちゃんですが心も大きくて「わっはっはーー」という感じの豪快さも好き。冗談言いながらものすごいテキパキしてるし、私はそのおばちゃんの名前がわからなかったのですが旦那には「おばちゃん」という名称で伝えていたので、その後苦しいときにおばちゃん呼んできてー!と言うときも「おばちゃん!Bitte おばちゃん!!」と何度も言ってました。

もちろんおばちゃんとの会話はドイツ語なのですが、なんかタイプ的に見かけからも大阪のおばちゃんみたいな感じで、話しかけてくるそのドイツ語が関西弁のように聞こえるから不思議(笑)。

破水の前にまずは促進剤を点滴で投与して、その後破水するとのこと。ちなみに結局、最終的には自然に破水したみたいです。

おばちゃんが「この後に備えてしっかり寝なさい、昨日みたいね!」と。実は促進剤2日目に錠剤を投与するも全く効かなくてCTGの間、いびきをかいて寝ていたらしい私。その姿が助産師さんのシフト交代のときの申し送りに伝えられていたらしく、それを聞いていたおばちゃん。

分娩室で一人にされて点滴が始まったのですが(14時20分)、そこからすぐに陣痛かな?と思われる3分おきぐらいの激しい痛みがはじまりました。陣痛ってほんとに波があるんだ!とびっくり。

このCTGの機械をじーっと見つめて、赤ちゃんの心臓が動いていることが救いというか、赤ちゃんに頑張れよーってそればかり思っていました。

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旦那が帰ってきたのが15時半ごろ、その頃には1分おきぐらいに痛いような・・・。一人だと耐えられた痛みも、旦那が来ると甘えからか涙が出て「痛いよー」って言う自分にも笑えました。

おばちゃんが来て、子宮口3センチだといわれPDA(無痛分娩)希望か?と確認されました。本当は水中分娩がしたかったのですがその分娩室は浴槽の無いタイプの部屋だったので、PDAを希望しました。

30分ぐらいして麻酔科の先生が2人登場。とってもやさしい女性の先生。ちなみに助産師、医師、看護婦、麻酔科医・・・・私が帝王切開で産むまでも産んでから退院までも全てのスタッフや先生が女性でした。一人も男性を見ませんでした。なんかみんな同じ女性としてかっこいいなーと惚れ惚れしました。

さて、PDAですが日本ではまだ色々賛否両論もあるようで副作用を含めたリスクなどもあるとのことでそこまで広く使われていないような様子をネット上では感じていますが、ここドイツでは日常的なのかな、と感じました。もちろん希望しない人もたくさんいるし、希望しても保険内なので追加費用はかかりません。本人の希望です。リスクなどに関しては分娩申し込みの際に麻酔科にて話を聞いていてすでにサインもしています。

PDAは背中に麻酔をします。注射程度の痛さで全く苦痛ではありません。ただ陣痛の波が来る中での処置なのでそれが辛かったです。ベッドに腰掛けて体を前に丸めて(お腹が大きいからしんどい体勢)、もう一人の先生が私の前にある台に立って、私の肩と頭をぐーっと先生の胸で固定してきます。背中を何度も何度も消毒された後、注射。

背中の注射から管が通されて私の左肩までやってきて麻酔薬を投与できるようになっていました。痛みに応じてその肩の管から追加投与が何度かされました。

時間にしたら30分ぐらいその処置を受けていたような気がします。途中からお腹より下?腰骨より下?あたりが全体的に麻酔が効いてきて歯医者の麻酔みたいな感じです。触られているけれど痛くないみたいな。熱い冷たいといった温度も感じません。でも足などを動かすことは可能。

そうすると、あら不思議!陣痛の痛みがすーっと和らぎました。ちょっとは感じるのですがあまり気にならない。それが多分17時ごろの話。そこで夕食が運ばれてきて食べていいよと言われる。って言ってもパンとチーズとハムですけどね・・・。果物とジュースは持参です、あくまでも真ん中のお皿に載ったのが夕食。

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落ち着いたら睡魔がやってきて1時間半ほど寝る、ちなみに旦那も寝る。そんな余裕があるからPDAってすごいなと思いました。

子宮の入り口を誰かが無理に開けようとする力みたいなので目が覚めました。痛い・・・。波があるけれど陣痛という痛みよりぐいーーっと開けようとする痛み。追加で便を出したいような感覚もあって、このまま出ちゃうかもーなんて心配したり。おばちゃん来てー!!と願う私。おばちゃんはつきっきりではなく1時間に1回ぐらい様子を見に来てくれます。おばちゃんがくるとものすごく安心します。

少ししたらおばちゃんが来てくれて、便意はいい兆候!と言われ安心。おばちゃんにシフトは何時までかと聞いたら22時と言われ、是非赤ちゃんを取り上げて欲しいと伝えましたが「私ももちろんそう思ってるわ!でも、産まれるかしらねー、時間的にどうかなー微妙かなー」と笑ってました。

痛みがあるのでPDAを追加。医師が来てくれておばちゃんと一緒に子宮口をチェックし「すごいじゃない、通常1時間に1センチ子宮口が開くんだけれどあなたこの数時間でもう準備万端なぐらいよ!あと少しね」と妙に褒められる。

でもそこからまた待機。一体いつまで続くのやら・・・。おばちゃんの業務終了の22時が刻一刻と近づく。私はただただおばちゃんがいる間に産みたい!とそればかり願ってました。

残念ながら願い届かず、助産師交代。来てくれたのは若い方。初めて目にする方だけれど、すごく優しくて癒される。この助産師さんも安心できる感じ。おばちゃんは「がんばってね、今夜中には生まれるわよ」と言い残して帰っていきました。

助産師交代の後は(22時半ごろ)、なんだか妙に産む準備が始まって医師も来てくれて「さあ、それではいきみましょう」みたいな段階になって、あれ?こんなもんなの?っていうのが私の感想。PDAで痛みは和らいでいるから、陣痛ってこれで終わり?みたいな。ここでいきんで産まれてきたら、なんか拍子抜けちゃうようなそんな気分でした。

いきみ方を教えてくれて、「次の波が来たらいきみましょう!」と助産師、医師2人が待機して、旦那は部屋の隅に座って見守っていたのですが「旦那さんも手伝って!」といわれて仲間に入れられる旦那(笑)

陣痛が来るたびに医師の一人が私の胸の下ぐらいからぐーーーっと赤ちゃんを下に押します。それが痛い。5回ぐらいいきんだかな?

そろそろここで「頭が見えましたー、あと少しよ、そうよー、はい産まれました!」っていう展開を予想していたので、次かな次かな?とワクワクしながらいきむ私。

でも出てこなくて医師2人が色々話して赤ちゃんの酸素?をチェックするとの事で赤ちゃんの頭から採血します、みたいな事を言っていました。「黒くて長い髪が見えるわー」とのこと。

その結果、赤ちゃんがまだ十分に降りてきていないこと、酸素は今のところ大丈夫だけれどこのまま続けて危険な状態になるのも避けたいこと、よって帝王切開に移りたいがよいか?みたいな事を言われました。

そう来たかーという感じですが、私としては無事に生まれればいいのでお願いしますというしかなく、ただ先生が「ごめんなさいね」というニュアンスが強かったのでやはり自然で生ませたかったという気遣いみたいなのをすごく感じましたが、私はそこまでネガティブでもなく、ただただ無事を祈るばかり。

お決まりであろう帝王切開の色々をがーっと説明されてその場で署名させられる。そうと決まったらそこからの展開がめっちゃ早い。テキパキみんなが用意を始めて旦那も緑の手術着を渡され、その時点で23時過ぎぐらいでしたが助産師さんが、今日中には産まれるとのこと。そんなにすぐに産まれるんだーとそれにびっくり。

あれよあれよと準備が整い手術用ベッドに移り私はオペ室。キャーーこういうのドラマとかで見たことあるー!みたいなちょっとワクワク感もありました。廊下をベッドに乗って動かされる感じとか、すごーーい、みたいな。

オペ室に入ってからもスタッフが10人ぐらいいたのかな、テキパキと用意され「うわードラマだドラマ!」と興味津々の私。帝王切開の麻酔はPDAが有効らしく少し投与を追加して臨むらしい。あっという間に準備が整い旦那も呼ばれて、みたことあるーっていうカーテン越しの風景。向こうで何かが行われているけどよくわからないけど先生達真剣だ!という感じでした。

日ごろから血が苦手な旦那は倒れちゃうんじゃないかと本人も心配し、一応助産師にも伝えておきましたが大丈夫らしい。それぐらい話す余裕もあり。

5分ぐらいしてお腹を押されたりする揺れだけを感じていたら「オギャー」っと赤ちゃん誕生の声。「間違いなく女の子よー、あらー、髪がふさふさー」みたいなことを言われていたような。でも私はその泣き声だけで涙止まらずあまり覚えていません。

すぐに連れて行くわ!と、とりあえず一瞬見せてくれて、「数秒で準備するから!」と赤ちゃんをさくっと綺麗にしてくれてすぐに私の胸元にやってきました。かわいい・・・、この子だったんだ・・・。と旦那としみじみしていたら、私に急激な吐き気がやってきた。多分お腹を押されて胃が気持ち悪くなったんだろうと思います。

旦那に「吐きそう、吐きそう」と伝えるも「先生に言おうか?大丈夫?」とかのろのろしていて「さっさと言えー!!!」とイライラし、「気持ち悪い、吐きそうです!!」と声を出して訴える私。

とりあえず赤ちゃんに吐いてはいけないので(笑)、赤ちゃんを非難させてもらいました。助産師さんが「では旦那さんにカンガルーケアをしてもらうわね」と旦那と赤ちゃんを連れて出て行き、私には点滴が投与されて吐き気は落ち着く。

でもそこから私の腕や肩の周りのふるえが止まらなくて自分でもどうすることも出来ないぐらいずっとふるえていて、スタッフが「寒い?」とタオルや温風みたいなのを用意してくれましたが意味なし。ずーっとずーっとふるえていました。よくあることだから心配しなくても大丈夫だそうですが。

1時間はかかっていないと思いますが、後処置が続き、スタッフ達のあくびとかも聞こえて、なんかリラックスしてる感じが笑えました。PDAを処置してくれた昼間の麻酔科医の先生がずっと私の肩に手を置いてくれて「もう少しよ」とか色々話してくれていたのは覚えています。

ようやくさっきまでいた分娩室に戻ったら、旦那がいました。ずっとカンガルーケアをしていたらしく「スッゴイカワイイ!!」と言っていて、赤ちゃんはちょうど体重のチェックとかをされていました。3480グラムと聞いて意外にも小さくてホッとする。5000!とか言われるんじゃないかと内心ドキドキしてました(笑)

そしてまた私の胸に戻ってきて、助産師さんが来てくれて初乳をあげみましょう!とトライするも上手く行きませんでした。そこから旦那と赤ちゃんと3人だけで静かに分娩室で1時間ぐらい過ごしました。誰の邪魔もなくただ赤ちゃんとずーっと一緒に。なんか不思議な感じでした。旦那がカンガルーケアを出来たことはすごくよかったなと今は思っています。一緒に出産した感じがすごくするので。

そして病室に戻ってからもおむつだけされた真っ裸の赤ちゃんは私の胸にいて「いつまでもそうしてていいし、服を着せたかったら呼んでね!」と言われ4時?5時?ぐらいまでそんな感じだった気がします。生まれてからは本当に家族だけにしてくれて存分にその時間を過ごさせてくれました。そういう方針の病院なので余計に長かったのかもしれません。

恐らく、このタイミングからは義理両親が希望であれば立ち会えたのかと思われますが、いなくて本当によかった・・・。ちなみに産まれる前ぐらいに旦那がパパにSMSを送っていますが、PIN(ログイン)を紛失したらしく携帯が使えず状況は伝わっていませんでした。産まれた後、旦那が家に電話したら、たまたま飲み物を取りにキッチンに来たママが電話に気づいて取ったらしい。

外が明るくなった頃、ようやく寝ることに。とはいえ寝れたもんではありませんでしたが。

そこから数時間後?麻酔が少しずつ取れてきて傷の痛み?後陣痛?なのかもう痛くて痛くて辛い1日のはじまりとなりました。服を着せてもらった赤ちゃんはずっと私の横にいました。本当に1分も別々にさせないんですよね。産まれてから今日まで別々にいた時間なんてトイレやシャワーで一人になる時とか検診とかそんな程度、これも病院の方針なんだと思います。

翌日からはじまる痛い日々はまた改めて。