Living in Germany

ドイツ人と国際結婚。夫&娘とドイツ暮らしです。

 

 

 

 

☆痛い思い出しかない入院生活

話が前後しましたが、出産後の痛い話を。

夜遅くに出産して、翌朝4時ごろに就寝。グーグー寝る旦那とは正反対で、気持ちが高ぶっているのか全く寝れぬまま迎えた朝。麻酔が切れてきたのか傷や後陣痛というのでしょうか、陣痛のような痛みがやまない。痛み止めをもらっても効かず。

7時半ごろ朝ごはんを持ってきてくれる人から始まり、看護婦さんが都度様子を見に来てくれたり、赤ちゃんのお世話をしに来てくれたり。

授乳してみましょう!なんていわれても、私は寝たきりで動けない。寝た体勢でもできる授乳を教えてくれてトライして、でも私が出来るのはそれだけ。体は1ミリも動かせない感じです。

旦那は私が何も出来ないので、オムツがえなど全てやってくれます。とにかく可愛いみたいで娘のことになったら飛び起きてくれました。

私がベッドから見ていた風景。

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私は何もしてあげられない、抱っこしてあげることすら出来なくて切なくて涙・・・。授乳ぐらいは!と思って旦那にお願いして私の横においてもらうも、看護婦さんみたいに場所が的確じゃないので上手く出来ない・・・。たった1センチ赤ちゃんを動かすことすら出来ない・・・。ごめんね、ごめんねって言いながら少しずつ動かしてみるも無理・・・。

横向きになることも、何も出来なくて・・・。尿もカテーテルがついているのでただ本当に寝ているだけ。一体いつになったら動けるんだろう?

でも意外にも早くその時はやって来た!

お昼前に看護婦さんが来て、カテーテルを抜きましょうと、でもそれは自分でトイレに行くということだから!といわれ起き上がる練習。もうこれが痛くて痛くて涙が出てくる。こんなに痛いなんて思ってなかった。「嫌ならカテーテル抜かないけれど、だからって良くなることは無い」みたいに言われて、抜きますって言うしかなく・・・。「最低3時間ごとにトイレに行くこと!」と言われ、3時間が来るのが恐怖でした。

2回目は旦那にお願いして手伝ってもらいました。背中の開いた手術服はそのままで、ネット状のパンツ?みたいなのを履かされていて悪露もあって、もう正直旦那に見せるのすらはばかられる姿でした。

痛い痛いと言いながら立ち上がりトイレに行く、一歩進むのに何秒もかかって・・・、トイレが地の果てにあるかのような遠さ(実際には5歩ぐらいですけどね)。便器に座るのまで手伝ってもらうしかない。トイレットペーパーに手を伸ばすのすら無理。

後ろの開いたパジャマの後ろの紐が結ばれていることもトイレで邪魔なので紐を取ってもらって、素っ裸に。ホント、旦那もひいてたんじゃないかと思います。

旦那は娘と私の世話をしないといけないし、可愛い娘に比べ私は痛い痛いとしか言うことがなく、ずっと唸っていて未だ一睡も出来ないまま。

出産翌日の出来事は今でも朦朧としていて、痛かったことしか覚えていません。何も出来ない辛さと痛さ、唯一の楽しみにもならない病院のご飯、促進剤2日目の夜以降シャワーも浴びてないし、もう自分がものすごく最悪な状態。

そんなぼろぼろな状態で夕方パパとママ登場。私はベッドから起きることも出来ない。途中、トイレに行きたくなってしまい・・・。こんなぼろぼろの姿は他人に見て欲しくは無いので部屋からお願いして出て行ってもらう。もうこういうのが精神的にきつかった。

そしてその夜、娘がずっとずっと泣いてどうしていいかわからない。ものすごい泣いているのに旦那は爆睡。その精神にびっくり。

私は一人で痛みに唸りながら娘をミリ単位で左に右に移動させてあやすものの、どうしようもできなくてナースコール。

看護婦さんが授乳の体制にしてくれたり、羊水で鼻が詰まって苦しむ娘を処置してくれたりするも全く寝ない。

傷は痛いし、授乳で乳首も切れて痛いし、マジでぼろぼろ。しかも血栓症を防ぐために履かされている白いパンストみたいなの、あれが痛い・・・。ちゃんとぴちーっと履けばいいのですが、帝王切開前にはかされて急いでいたのか適当だったりして、足首とかで皺が出来ていてそれがめっちゃ痛いんです!!

たとえ健康でも一人では穿けそうに無い、ものすごい圧力のかかったパンスト。中途半端な足の先。退院までずっと穿かされました。この履き替えが嫌でシャワーを浴びなかった日もあるほど。

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ちょっと皺を伸ばしたいんです、でもそんな体勢取れるわけ無い・・・。もう痛いところがどんどん増えていく・・・。

でもその夜、必死で娘と向き合った時間が、この子を守るんだ!という強い気持ちになったのも事実。傷がものすごく痛いんだけれど、そんなことより娘だ!と抱きしめ語りかけ、何時間も試行錯誤、空が明るくなった頃にようやく寝た娘。疲れ果てたように寝る娘を見てごめんね・・・という気持ちしか出てきませんでした。

結局、また寝れぬまま1日がスタート。痛いけど立ち上がるしかない!自動でリクライニングされるベッドが唯一の救い。

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それでも動くのは辛かったけれど・・・。ベッドの上についているハンドルは本当に助かりました。これが無かったら無理。

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その日はベビーの写真を撮るカメラマンのセールスや、帝王切開の後の運動を教えてくれる先生とか、なんか人の出入りの多い1日。旦那は着替えを取りに帰っていて不在だし対応は私。

新聞記者が地元の新聞に載せるからと取材に来た。てっきり娘の写真だけ載せるのかと思ったのに、ママも一緒にと言われシャワーも浴びずもちろん化粧もせず、ぼろぼろ、クタクタの顔でローカル新聞に載りましたよ・・・(笑)しかも結構大きな記事だったことにびっくり。それだけ話題の無い田舎なのね。

色々インタビューされて間違って答えた事もあって(大したことはない答え)、後で記事を見た旦那に指摘されるもあの日はあれが精一杯。

一つ一つはたいしたこと無いのですが、出産や子供のケアにまつわるドイツ語なんて全然わからなくて会話がなかなか上手く行かなくて、言葉の面でのストレスもありました。今まで使ったことの無い単語ばかり。

尿のカテーテルが取れたかと思えば、次は便が出たかの確認。下剤をもらうが効果なし。帝王切開後の排便は重要らしい。看護婦さんが来る度に「出た?」と聞かれる。あぁ、ストレス。

出たか出たかってうるさいねん!便秘とは無縁の体調やねん!そんな食事で出せと言う方が間違ってんねん!まともな食事、持って来いや!!ふざけんな!

って言い返したかった…。

この辺(出産翌々日)から私の精神状態がちょっとやばくなってくるのです。そして翌日、爆発することに・・・。