Living in Germany

ドイツ人と国際結婚。夫&娘とドイツ暮らしです。

 

 

 

 

☆ご報告、そして久々のカルチャーショック。

清々しい青空の広がる最高のお天気だった夏時間初日、パパが息を引き取りました。

ホスピスに入所してちょうど10日。思っていた以上にあっという間でしたが、パパのことを考えると心の底からホッとしました。もちろんパパとのお別れは悲しいけれど、頑張ったね、やっと楽になれてよかったね、というのが何よりもの気持ちです。82歳でした。

ママが倒れてから1週間、私と娘が泊まり込んでパパの世話をして、そしてホスピスへ。たった3週間足らずの間に本当にバタバタと状況が変わりました。ママが倒れてからの1週間は今思い出してもかなり大変だったけれど、でもあの1週間があったからパパと濃い時間を過ごせたし、私も少なからず何か役に立てたのかなと思うとあの時間も貴重な時間だったと今は思います。

パパがかなり弱っているのを見て、旦那がママを迎えに行き、それからはほんの数時間の出来事でした。旦那とママとパパとで最期の時間を過ごせたようです。そこまで急なことになるとは思っていなかったので私は娘と家にいたのですが、たとえ娘がいなかったとしても行かなくてよかったのかなと。ママと旦那とパパの3人で昔の思い出話などをして過ごしたようで、本当の家族3人だけで過ごせてよかったなと思ってます。これだけ出張でいない旦那がたまたまいる日曜日だったことも偶然ではないのかな、と感じます。

ママは当初はかなり取り乱したようですが、ホスピスの方がママとたくさん話をしてくれたみたいで、その様子を見ていた旦那が「さすがに慣れているし、プロだし、すごいと思った」と言うほど、ママを支えてくれたようです。スタッフの方全員がとても素晴らしかったとのこと。

翌日は私もパパにお別れを言いに向かったのですが、初めて会うスタッフだったのに「○○さんの義理の娘さんよね」と話しかけてくれて私に対してもお悔やみの言葉だけでなくちゃんと横に座って色々話を聞いてくれて本当にスタッフの方々は素晴らしい対応でした。

霊安室などではなく、パパはいつものお部屋にいました。決して華美ではないけれどお花やろうそくが丁寧に飾られて、病室の入り口の足元にバラが1輪置かれていたのですが、それがきっと目印なんだろうなという感じでした。

ホスピスだからなのか、たとえ死後であっても誰の訪問も歓迎だし、可能な限りいつでも来てくださいと言っていました。娘にもどこまでわかるかわからないけれど、ちゃんと説明して、お別れをしてきました。娘の記憶にはオパの存在は残らないかもしれないけれど、いつか大きくなった時にオパに朝ご飯を食べさせてくれたこととか、しっかり話せたらと思うし、娘にとっても家族にとっても大切なことだと思ったので、ママと旦那は娘は見ないほうがいいと言ったのですが、とても安らかに眠っていたし、私の判断でちゃんと娘とオパにお別れを言いました。あやふやにしてお別れするのは嫌だったし、オパもきっと最後に唯一の孫にちゃんと見送ってもらったほうが嬉しいんじゃないかなと思って。もし娘がもう少し大きくて「死」というものがわかるようになっていたら、逆に会せるかどうか迷ったかもしれません。

パパが亡くなった翌日にお葬式などの相談に行き(話を聞いている限り個人の会社ではなく街や州などが絡んでいるようなイメージを受けました)、火葬の手配を取りました。ドイツでは火葬にはだれも立ち会わないそうで、ホスピスにパパを迎えに来てくれてそのまま火葬になりますが、その火葬がいつ行われるのかはわかりません。今日か、明日か、3日後なのかそこまではわからないそうです。パパが運ばれる時も立ち会っていません。ママも旦那もパパとはホスピスのお部屋でお別れして立ち去り、その後はその業者さんが来てくれたそうですが何時に来たのかもわかりません。

お通夜があるわけでもなく、もちろん初七日とか四十九日とかそういうのもありません。パパが亡くなったのは夕方だったのでその日はママと旦那が数時間パパと一緒にいたそうですが、夜は家に帰りました。

お葬式は別途、教会で行うそうなのですが、日本よりも遅めだとは聞いていたものの、先に火葬されるので(埋葬の場合はまた違うかと思いますが)、急ぐ必要もないそうで、なんとパパのお葬式は5月に入ってからになります。ものすごい先でびっくりしました。ママが通院しているのでそれが落ち着いてからということだそうです、火葬の後、遺灰を6週間保管してもらうという手続きを取ったようです。遺灰も家には戻りません。希望しても個人で持ち帰ることはできないと聞きました。

ということで、パパが亡くなった翌日なのに、びっくりするほど普通の日になりました。当日はさすがに旦那は実家に泊まってママと一緒にいましたが、今日はもう帰ってきたし、悲しんではいるけれどテレビ見てますし、その隣でPCを立ち上げる私。あまりにも普通で逆に驚いています。喪に服す、みたいなこともないのだろうか・・・。

お葬式も5月となれば、あまりに先すぎて逆に悲しみよりも故人を偲んで家族、友人・知人が集まる和やかな場になるのではないかとなんとなくですが想像します。それはそれでいいことなのかもしれません。日本のようにバタバタとあっという間にお通夜からお葬式になる感じではなく、時間も心の余裕もゆっくりある感じです。さすがに5月のお葬式は普通よりもずいぶん遅いとは思いますが、それが許されるのも宗教の違いなのか、そういう文化なのか、あまりにも日本と違いすぎて正直戸惑っています。

82歳という高齢で、もうここ最近の状況からもそう長くは無いと覚悟していたということもあるのかもしれません、これが若い方だったり予期せぬ出来事だったという場合はまた違うとも思いますが、パパにおいてはあまりにもさっぱりしている感じに少々、いやかなり驚いています。

今日も火葬などの手続きが終わって、そのあと旦那とママは散歩したそうです。ママは今週末お天気が良かったら私たちとちょっと一緒にお出かけしたいと言っているそう。5月のお葬式までどのような感じで過ごすのか、いつもと変わらず普通に過ごすのか、さっぱりわかりません。いやいや、さすがに久々にかなりのカルチャーショックです。

旦那は3日間仕事を休んでいますが、パパのことというよりは、ママの家の手伝い。滞っていた書類の整理とか家のこととかそういうことに駆り出されています。今しなくてもよくない?みたいなことまでママはやり始めるらしく、せっかく旦那がいるからあれもこれも頼んじゃえ!みたいな感じだそうで、今日はガレージの掃除をしたりしたんだそう(亡くなった翌日ですよ!)。まあきっとママもそうやって気を紛らわせているのかな、とも思いますが。

ママ自身もあまり良い状態ではなく、通院が続いていますが、「早く元気になりたい」という気持ちが強くて、パパのことを悲しんでばかりはいられないわ!という状況にもなっていて、そういう状況に救われているのも事実です。ママが元気でいてくれたほうが良かったのはもちろんですが、こうやって通院したりママ自身が自分のことを考えなければいけないという状況になっていることも、逆に良かったのかもしれないと旦那も言っています。もし何もなくてただパパがいなくなったというだけだったら、もっともっと落ち込んで取り乱していたのではないかと思います。

なんか色んなことを考えていたら、パパもこういうタイミングを分かっていたのかなと思わずにはいれません。

パパと出会って9年半ぐらいかな、毎年クリスマスを共に過ごし、毎年「高齢の」卵探しをし、パパとの色んな思い出がたくさん心に残っています。私がもっともっと初めからドイツ語を今以上に理解できたなら、パパのとの話ももっと楽しかったんだろうな。でもポカーンとしている私に、懲りずにいつも一杯説明してくれて、本当に優しかったパパ。

今まで本当にありがとう!!