Living in Germany

ドイツ人と国際結婚。夫&娘とドイツ暮らしです。

 

 

 

 

☆ママが旅立ちました。

土曜日の夜、ママ(義母)が旅立ちました。

覚悟の上だったので連絡があったときはついに・・・という感じでしたがやはり旦那はかなり落ち込み涙を流していたのですが、その後またすぐに介護ホームから連絡があり、ママが身分証明書を持っていないので手続きに困っているみたいな相談・・・。ええ、わかっていたことですが身分証明書、パスポート、免許証のその全てが見当たらない。どれだけ探しても出てこない・・・。亡くなった瞬間から悲しむ間もなくその対応に追われる旦那。介護ホームもちょっと落ち着いてから連絡してくれやーと思うものの、きっとすぐに手続きしなければいけなかったんでしょうね。

しかもママの出生地なども聞いてきたホームの人はママが生まれた現ロシアのKoenigsbergというところを聞き間違えたと思ったか、そんな都市はドイツに無いとでも同僚に言われたのかまた再度確認の連絡があり・・・、旦那が今はロシアなんだけれど当時は東プロイセンで・・・なんていう歴史の説明までしなければいけない展開(笑)

翌朝、旦那と娘と3人でママのお別れに行きました。霊安室というのでしょうか温度管理された部屋に通されました、がベッドが2台あり1台は空きでしたがもし他に誰かがいたら同室だったんだろうか・・・。お花が飾られるでもなく、何にも無い部屋にただ寝ているだけ。パパのホスピスのささやかだけれど温かい感じの雰囲気など微塵も無くて、ましてやスタッフだって私達家族を見てもお悔やみの言葉をかけるでもなく、ただ淡々と進むだけ。パパがホスピスで亡くなった事はパパもだし私達家族も幸せだったな、と改めて思いました。

ママはとても安らかな顔をしていました。苦しかったよね、お疲れ様、パパによろしくね。そういえばパパはもうすぐ誕生日だから、お祝い好きなママの事だから誕生日のお祝いでもするのかしら?。

パパが亡くなってちょうど5ヶ月、本当に後を追うようにママも亡くなりました。パパの自宅介護が終わってやっと自由になってこれからだ!というタイミング。きっとママも孫と一緒に遊んだり色んなことをしたかっただろうし、悔いは残るし、76歳といえばまだ今の時代少し早すぎるとも言える。だけど、パパを失った悲しみに打ちひしがれることも無く、この5ヶ月は自身の治療と向き合ってパパのことを口に出すことすらなかったママ。ずっとパパと2人仲良しだったから、ママもパパもまた一緒になれて幸せなのかもしれない。身動きがとれず、最後は意識もなくなって、そんな状態であとまだ何ヶ月も何年も生きたとしても、ママも私達も辛かっただけだから、いいタイミングだったのではないだろうか。

先生がママの延命治療についての確認をしたときはっきりと言ったのは、今の医学では薬を投与することでママの命をまだ延ばすことは可能、希望をするなら対応する。ただし、今の状態から良くなること(意識が戻ったり話せるようになること)はまず無いと思うがそれでも希望しますか?みたいな話がありました。

悲しいけれど、今亡くなったことはママにとっては幸せなことだったのかもしれないよ、と私なりのポジティブな考え方(でも本当にそう思っていたし)を旦那に伝えました。旦那は親戚やママの友達などに連絡を入れ、その都度何を言われているのか電話の向こうの会話は聞こえませんでしたが時に泣きながら電話に答えていました。

「みんなどんな言葉をかけてくれるの?、ママとの思い出?残された私達家族への言葉?」と聞いたら、最期はどんな感じだったのかとか苦しまなかったのかとかそういうママの最期についての質問が多かったと。「誰一人として(私みたいな)ポジティブな話はしなかったよ」とのこと。それがいいのか悪いのかまでは旦那は何も言いませんでしたが、私がポジティブな方向で励ますことが意外だったのかも。もちろんママが亡くなったことは悲しいけれど、元気でいてくれるなら長生きして欲しかったけれど、今この状態のママが長生きすることは幸せなのかな・・・?。色々人それぞれ考え方もあるだろうし、私も義理の家族だからポジティブなことを言ってられるのかもしれません。

元気だった人が突然亡くなったり、若くして亡くなったのとは違うし、ちゃんと最期を迎えられたことだけでも幸せな人生だったと言えるのではないだろうか。大きな苦労をすることも無くパパと仲良く暮らし、一人息子もしっかり成長して結婚して孫の顔も見れた、パパには先立たれたけれど今までしっかりと人生を送れたのだから、ママは幸せだったのではないかな?

旦那は短期間で父と母を亡くし、そして一人っ子だったし本当に一人になってしまった悲しさが強いようで、この数ヶ月に起きた事が辛くてやるせないという感じです。そんな旦那を見ていると一緒になって悲しむより、少しでも前向きになってもらえたらとポジティブに考えるような声をかけることしか私には出来ません。

ママと最後のお別れをした後、色々やることは山積みだけれど旦那の希望で散歩に行きました。パパとママとの思い出の多くは「散歩」だったみたい。子供の頃は週末は必ず散歩に行っていたし、散歩に行きたいというので付き合いました。

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お馬さんが沢山いるところへ。散歩道も次々と散歩をするお馬さんが通るので娘は大はしゃぎ。そんな娘の笑顔に励まされました。

パパもママもいなくなって1人になってしまったけれど、私も娘もいるんだからしっかり3人で頑張って生きて行こうね!と決意を新たにできたお散歩。

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娘はオパやオミのことをどこまで理解しているのかはわかりませんが、逆に無邪気にいてくれることでみんなが救われているのは事実。娘に感謝です。

色々ママには愚痴もあったしイライラしたこともあったけれど、娘のように可愛がってくれました。時にそれが鬱陶しくもあったけれど・・・(笑)。なんだかんだとパパとママと過ごした10年、パパやママから教わったことも沢山あるし、その中の少しでも娘に引き継いでいけたらなあと思います。

そしてパパやママの最期を見て自分自身のこともすごく考えました。どう最期を迎えるのが幸せなことなのか、そんなことも考えたり。まだ健在な自身の親に対しても色々考えてしまいます。これに関してはブログを読んでいるお友達の何人かからも同じことを言われたので、パパやママのことが誰かが人生について考えるきっかけになったのであればよかったなと思います。

子供に残したもの(ローンとかぐちゃぐちゃの家とか、どうしろっての!というジオラマとか・・・)そういうことも、パパとママから嫌ほど学びました(笑)。ってまだこれについては終わってもないけど・・・。そういうことも自分たちが娘に対してどうすべきなのか、これは反面教師という形で学ばせてもらいました。立つ鳥跡を濁さずということは私自身も意識していますが、人生を旅立つ時は残された家族が気持ちよく見送れるように、何よりも考えておくべきこと、教訓だとすごく思います。

「終活」などという言葉も最近ありますが、とても大切なことですよね。そろそろ人生も折り返し地点に・・・とか、もう高齢者になったし・・・とか時期的に考え始めることも大切だけれど、どんな年代の人だって日頃の生活から何かを買うときとか手に入れるときとかも意識しても悪くないのではないかと思います。もちろん日頃から亡くなった時のことを考えて生活はしたくないし、それはちょっとやりすぎなのかもしれないけれど、今の私はママとパパが残したものすごい家を目の当たりにして強く思います。もしくは後先考えずに暮らすけれど、その分「現金を残す!」ですかね(笑)。

パパの時と同様、すぐにお葬式とかがあるわけではないので普通に暮らしています。旦那は各種手続きとかで2日間お休みをもらっていますが、やることやったら実家の片付けでもしようか!と言っています。ママの葬儀は9月末の予定です。きっと皆さんからしたら考えられないぐらい亡くなった翌日から普通の日々です。でもそういう普通の毎日のほうが気持ちが救われるのかもしれませんね。