Living in Germany

ドイツ人と国際結婚。夫&娘とドイツ暮らしです。

 

 

 

 

☆ここ最近のママの事

介護ホームに入所するママ(義母)のことです。

肺がんを患っていることも、それが脳に転移しているということもわかったのが3月中旬。当初は脳梗塞の疑いで運ばれ、ママが自宅介護していたパパ(義父)が残され私と娘で泊り込みで介護をした3月。そんな空気を読んだのかパパは3月末に亡くなりました。

色々病気をしたりはしているものの元気だったママ。肺がんと言われても、脳腫瘍と言われてもそのいつもと変わらぬ元気さに信じられないような感じでしたが、「生きたい」というママの意志で放射線治療を始め、そこからあっという間に人が変わったように急激に弱り、入退院を繰り返し今の介護ホームに入りました。3月から介護ホームに落ち着くまでの4ヶ月ぐらいは何度と無く救急車で運ばれたり、入院する病院も毎回違うしで本当に私達も振り回され、それはそれは大変でした。

ママはその後、「もう今日、明日ぐらいが山でしょう」と言われたこと数回。それでもそれを乗り越えて今日まで生きています。ただここ1ヶ月ぐらいは完全に寝たきりの状態で、声を出す力も無いのかささやくような声しか出ません。目を閉じていることも多くなりました。

先週木曜日に私が一人でママのところに行ったときには「素敵なメガネね」なんてちょっと会話もあったりで、でもそれを最後にこん睡状態というのでしょうか、自力呼吸はしているけれど反応は無く、食事も取れなくなりました。その翌週から熱が出たり、水分を取ることも難しくなったので点滴のみになりました。

その週も月曜日から出張に出ていた旦那。出張先から介護ホームに電話をし看護婦さんにママの状態を聞いたりし「もう今夜あたりが・・・」と言われ、出張を切り上げて帰ってきました。でも、その「今夜あたり・・」からすでに数日が経過しています。

ずっと寝ているものの顔色もよく、熱も下がり、息は苦しそうですが特に大きな変化は無く今に至ります。週に1度かかりつけの先生が来てくれて様子を見てくれるのですが、先日の先生の回診には旦那と私も立ち会いました。

そこでママが自身の最期についてどんな希望を持っていたのか、またその意思に関する書類の有無や誰が決定するのか(=旦那)などの話があり、機械や管に繋がれてまで延命はしてほしくないというママの希望があったこと、また旦那もそれを希望していることなどの確認がありました。

・痛み止め以外の薬は投与しないこと
・痛み止めを入れた点滴を打つが、人間が1日に必要な水分量には達していないこと(つまり延命処置ではないということを言いたかったのかなと思います)
・今後いかなる状況の変化があっても病院には搬送しないこと(病院に搬送されたらそこでまた処置が施され延命という形になるので病院に行くことはしないということの確認)

などがありました。もともとママは緩和ケアを望んでいたこと、でも痛みがないし緩和することが無いということで緩和ケア病棟で入院を続けることは出来なくなりましたが、そういう経緯も先生は知っていました。またその先生は地域の在宅緩和ケアチームスタッフの一員でもあるので、緩和ケアという観点から話をさせてもらうということで、上記に述べたようなことを「・・・でいいですね?」というように、ひとつずつ確認という感じでした。

自力で呼吸して、点滴のみ。この状態でママが後どれぐらい生きるのかはわかりません。ストレートな言い方ですが「死を待つ」しか出来ません。目を覚ますこともないし(目は開けるけれど反応はなし)、呼びかけに答えることもありません。ただ眠るママを見ているだけ。

1分1秒でも長く生きていて欲しい!きっと自分の親ならそう思うかもしれません。旦那はそんな感じです。家に帰る時はもうこれが最後かも、と思ってお別れしている感じです。私は眠るママに「もうそんなに頑張らなくても大丈夫だよ」って心の中では伝えています。もちろん旦那には言いませんが。

最期を迎えるのはつらいことです。でも、なんというか毎日「今日も大丈夫だった」ということにホッとしているだけで来るべき時を待っていることが私はなんかすごく複雑な心境になります(”待っている”という表現はちょっと違うかもしれませんが)。

もしママが放射線治療をせずにあのまま生活していたらどうなっていたんだろうね、と旦那と話しました。もちろん誰にもその答えはわからないけれど、ひとつだけ言えることは、もうちょっと元気な時間が長かったのではないだろうか。もちろん予期せぬ急変もあっただろうけれど、あんなに元気でぴんぴんしていたママが放射線治療を始めてほんの2,3日で急激に弱りました。年齢もあったのだと思います。でも放射線治療をしなかったほうが1日でも2日でも、きっと元気でいられた日は長かったのではないかと今は思います。放射線治療をしたことでママの最期の日が延びたのか、それもわかりません。

そして介護ホームではなくパパと同じようにホスピスに入っていたらまた違っていたと思います。きっとホスピスに入っていたらママはもういないと思います。介護ホームで肺炎になって救急車で運ばれて集中治療室に入ったけれど回復したということもあったし、医療のおかげで延命されたと思います。もしホスピスだったらその時はもうそっとしておいたことでしょう。どちらが良かったのか難しい話ですが、実際にホスピスに入って最期を迎えたパパを見ていたので、ホスピスという選択でも良かったのではないかと私は思っています。パパとママを見ただけだから大きな比較にはならないけれど、ホスピスの方が雰囲気もスタッフも先生方も本当に素晴らしい方々でした。

ママのかかりつけの先生は放射線治療なども反対し、ママにホスピスへ行くことを勧めました。でもママは治療を望み、ホスピスに行くことを拒みました。そんな提案をするかかりつけの先生を嫌がりかかりつけの病院を変えたほどでした。旦那もホスピスに行くことは死を待つしかないからママにはホスピスに行って欲しくない!とそればかり言っていました。

介護ホームにも色々あると思います、他を見たことが無いからわからないけれど、最低限のお世話という感じでスタッフも8割は無愛想で機嫌が悪い(←私の感覚ですけど)。パパの入ったホスピスは本当に感じのいい方ばかりで、居心地のいい場所という感じがしました。当時のブログにも書きましたが、家族のケアも含めてのホスピスという感じで私達家族のこともとても大切にしてくれました。

今、ママがいる介護ホームなんて、家族には声すら掛けられない事が多いです。すれ違っても挨拶も無い。この間、ママを訪ねていったらママはこんな感じで寝たきりだし、同室のおばあちゃんも同じような感じなので、その部屋でスタッフがフルーツ食べながらサボってましたからね。私が突然入っていて驚いていたようです。もしかしたらホスピスのスタッフは私達家族の前だけでいい人を装っていたのかもしれません、もし万が一そうだったとしても、家族の前ですらびっくりするような対応とかしてるスタッフが何人もいる介護ホームとは雲泥の差でした。だけど介護ホームにも少数だったけど話しかけやすいやさしいスタッフもいて、そんなスタッフは見事にドイツ人ではなく外国人でしたけど・・・。

パパがホスピスで亡くなった時、ママのそばにいてくれてずっと話をしてくれて、義理の娘の私にまでホスピスのスタッフは寄り添ってくれました。華美ではなかったけれどお花やキャンドルを飾ってくれて温かい最期を迎えられたようなそんな気持ちになりました。このままママが介護ホームで最後の日を迎えた時、どんな様子になるのか気になります。

あと何日、何週間、何ヶ月、ママが息をしているのかはわかりませんが、いつかやってくるその時が来たら旦那のことをしっかり支えてあげなければと思っています。