ベルリンの壁は1989年に崩壊しました。
私も幼心に当時のニュースを覚えていますが、
「ベルリンの壁が崩壊して東西ドイツが統一した」という理解でした。
本当に恥ずかしい話なのですがドイツに来るまで、
東西ドイツを分けていた場所に「ベルリンの壁」があったのだと思っていました。
よく考えれば地理的におかしな話で、南北に長く東西ドイツを分断していた境と
ベルリンは全く違う場所ですからね。
東ドイツ側にあった米英仏の3国の占領地域であった旧西ベルリンが
ソ連の占領地域であった東ドイツに取り囲まれていたそこに「壁」があったんですよね。
ドイツ大使館のHPより。
旦那のパパがベルリン出身で、東西に分かれたとき家族や親戚は西ベルリン側になりました。
当時、すでに今私たちがいる場所にパパは住んでいたので、
パパが親戚や家族を尋ねるときは、東ドイツを通過して西ベルリンに訪問していました。
旦那も小さいとき、毎年パパとママと西ベルリンの親戚を訪問していたことを
今でもはっきり覚えていて、国境の検問ではとにかく怖くて震えていたと言っています。
そういうこともあってか、またそもそも歴史好きな旦那ということもあり
このドイツが東西に分かれていた頃の話、そこを抜けて西ベルリンに行った時の話、
また壁が崩壊し東西ドイツが統一したことなど、いつも目を輝かせながら話しています。
ベルリンではイーストサイドギャラリーなどで今も残る壁の一部を見たこともあるし、
ベルリンに住む叔父さんからは壁が崩壊したときの一部、コンクリートの塊を
結婚式のお祝いに頂きました(私にとっては単なるコンクリートなんだけど・・・)
実際に東西のドイツを分断していた場所は未だかつて見たことが無く、
ベルリンは壁だけど、その他はどうやって分断されていたんだろう・・・って興味はあったのですが
歴史好き旦那が「一度は見ておいたほうがいいよ」とのことで、連れて行ってくれました。
場所はうちから車で2時間弱、Fulda(フルダ)に程近いGeisaという街にある
Point Alphaというところです。公式HPはこちら。
フルダギャップと呼ばれていた場所。
フランクフルトを目指すソ連軍の進撃路になると予想され、アメリカ軍が駐留していたそうです。
この場所の近くにはこんな看板が立っています。
1989年12月22日の11時までこの場所で別れていました、という看板。
ベルリンの壁の崩壊のニュースを覚えているぐらいですから、
当たり前ですがそこまで昔の話ではないんですよね。
普通に生まれていたし、まだ20年ちょっと前の出来事なんですよね。
ここPoint Alphaには当時の柵などがそのまま残されています。
柵は次々作られて何重にもあったようです。
アメリカ軍の設備が残されています。
当たり前だけどまだまだ新しい設備。全く古さを感じません。
ガソリンスタンド
事務所
資料などもしっかり展示されています。
お天気もよくてさながら散歩道のような場所。
警備犬の再現もなんだか可愛く見えてしまうのですが、
20年少し前まではそんな生易しい場所ではなかった場所。
お天気も良かったこともあり、併設されている博物館はものすごい人でした。
フランクフルトからもそこまで遠い場所でもないので
ドイツにいる機会に一度訪れても良いかもしれません。
そんなPoint Alphaからの帰り道、旦那が言うには
私たちの結婚式にも来てくれたママの大親友のおばさんは
ドイツが東西に分断された直後、小さな息子を連れて東から西に渡ってきたそう。
分断された最初の頃はまだ場所によってはそこまで国境も厳しくなかった場所もあったらしく、
電車に乗って隠れて西側にきたんだとか。
おばさんとは何度も会っていますがそんな話は聞いたことも無くて、
旦那は小さい頃からママから聞いて知っていたみたいなのですが、
大人になってからちゃんとおばさんの口から聞いたことは無いみたいで、
旦那も私も今度おばさんに会った時は、その辺の話を聞いてみたいなと思っています。
今日はなんだか色々勉強した1日になりました。