昨夜、3週間弱滞在した母が日本へ戻りました。
人生でここまで長く日本を離れたことが無かった母、
最後のほうはちょっと帰りたいとか言ってました、
右も左も言葉がわからない、看板だってわからない、
お手洗いのDとHすらどちらか迷う、そりゃ疲れるでしょうね。
このお手洗いの話を旦那と旦那の両親にしたら3人から
「今は全て男女のシグナルになっているはずだからDやHだけなんてサインの場所は無い!」
と3人とも言い切りましたが普通にありますよ、当たり前すぎて意識してないだけでしょう。
母にとっては私しか頼りが無くて、私も正直疲れたときもありました。
最後、私も風邪をひいてしまい、体もダルくてそんな中、通訳も疲れ果てた。
ドイツ大好きな旦那と、やはり生まれ育った日本が一番の母、
「やっぱりあっさりした日本食が一番やわ」
「あんたもこっちの料理ばかり食べてると体壊すで!」
(ママの料理を見て)「手料理手料理っていうけど切って湯がいただけやん」
「ドイツの料理は塩辛いわ」
なんて言う母のひと言、私も場合に応じて全て訳すことはしなかったけれど
どんなひとことも聞き逃したくない旦那、聞き流すことをしない。
「いまオカーサン何って言ったの?」って、何度も聞いてくる。
でも正直に言えば「いや、ドイツは・・・」とか反論が待ってる。
絶対に肯定しない、挙句の果てには戦争だの歴史だのってそこまでの話になる。
そんなことを言ってるのではなくて母の正直なコメントなのよ。
でもだからといってドイツの食事や環境を受け入れなかったわけではなく
興味を持って何でも食べたし飲んでたし、
「私の年代のほかのおばちゃんやったら、こんな何でも食べへんでー」という母。
確かに私もそう思う、ソーセージをおいしいおいしいって何度も食べてた母。
珍しいからかもしれないけど、私は無理・・・。1ヶ月1本ぐらいで十分(笑)
年内は色々旅行しましたが、大晦日から昨日まではゆっくりしました。
毎晩母が作ってくれるご飯、一緒にキッチンに立つことも日本だと狭いから無理だし(笑)
旦那には悪いけど完全和食。
お料理をするのは苦ではありませんが、母と一緒だと
「そのお出汁もう出てる?」「それ煮えてたら火を切って!」とか
旦那やママには通じないこのニュアンスが通じるすばらしさ。
トルコ街にも行きました、トルコのスイーツ。母には不評(笑)
そして母滞在の最後の夜は、パパとママを招いての夕食。
おいしいから揚げもてんぷらも、乾杯から続く序章(旅行の報告会)で冷めるしおいしさ半減、
「いつ食べ始めるの?」って母がこっそり私に聞くけれど旦那に「マダ」と止められ・・・
結局パパとママのことを考えて「食べられそうなものセレクション」になるメニュー。
おにぎりもお寿司も、ナイフとフォークで綺麗に割り、
お醤油にマヨネーズにぐちゃぐちゃになるパパとママ。
「結局最後は全部、味一緒やん・・・」って言う母。
そういう姿も母に見てもらえてよかった。
そしてものすごーく意味の無いどうでもいい話で何時間も盛り上がる旦那と家族。
「ある意味こんなに話すのはうらやましいけど、疲れるね」と母は言っていました。
最終日、空港に行く前に見た景色。
クリスマスマーケット以外は冬に来る意味が無かった・・・と言ってましたが
こんな景色が見れるのは冬ぐらいではないかな。
夏だと夕暮れが遅すぎてオフィスの電気が消えちゃうし。
それにしてもEZBのビルだけ真っ暗。もう新しいビルに引っ越されたんでしょうね・・・。
母が帰った翌日まで私は休暇。
疲れたというより、多分どこに行くにも母のことを気にかけていたからか
気持ちが張っていたのか、疲れ果てて起き上がることが出来ません(笑)
これに懲りずにまた来て欲しいな。
今日1日ゆっくりして明日から仕事頑張ります。